努力と継続は未来の自分への「恩送り」〜やがて芽となり、今日という日の偶然の「結果」となる

子どもの頃から、ずっと「努力」と「継続」いう言葉が好きではなかった。「努力」したり「継続」したりするのは苦手だった。

運動も勉強も苦手、手先も不器用で出来ないことだらけ。出来ないことは癇癪を起こしすぐ諦める私だったので、とりわけ人から「やれば出来る。努力が大事」と言われたら、「何が何でも努力せんぞ!」と心に誓った。
子どもの頃は、「努力」という言葉の中に、「人から強制させられる苦手克服」とか「無理して嫌なことでも頑張る」という意味を入れていたから、嫌いだったのだと思う。

昨年、自分のこのところの取り組みを人に話していた時に、「コツコツと自分の道を作ってきたんだね」と言われて、心から嬉しかった。私は、自分が思うよりも「努力と継続」の人なのだ。やっと受け入れられた。
この数年、やりたくないことは無理してやらないように気をつけてきた。やりたくないことを無理してやらなくなったら、むしろ「努力」や「継続」が、自分の得意なこととして戻ってきたのだ。

大学院の頃「過去の自分がいつも助けてくれる」と言っていた。苦手な資料作りや、こんなの意味あるのかな?と疑いたくなるような地道な調べ物が課題に出た時に、それでも作っておくと、後々の論文を書く時に、データとして役立ったり、手を加えればすぐに必要な資料が作り直せたりする。その瞬間は面倒だなーと思った作業や、「こんなの無駄じゃない?」と思いながらも積んだ経験や使った時間は、後になって自分を救う。報いは遅れてやってくるということを経験上知っていた。その時は何もならないことでも、その経験をきっかけに別の良いことが起きたり、素敵な何かにつながっていたんだなあ、と後々わかるときもある。

「いつか役立たなくてもいい、けど役立つこともある」とわかっているから、一見すると面倒な作業や、急に頼まれた大してお金にならないことでも、直感で「自分を豊かにするもの」「後で大きくなって戻ってくるもの」を嗅ぎわけることができているのかもしれない。

その代わり、作業自体が楽しいものでも、やりたくないゴールに向かっていると気がついた時は、無理してやらないと決めている。

私にとって、今の「努力」や「継続」の意味は、未来への「恩送り」だ。コツコツと望む道を試し試し作っていけば、いつの日か、思いがけない、結果にたどり着く。「ここまで来てよかったな」という「今日という日の結果」は計画したというよりも、どこに繋がるかわからなくても、その時々でこれだというものと植えてきた種が芽吹いたもの。偶然の出会いの中で一つ一つのことを確かめて、道を作ることを諦めず、やめないできた、そんな「努力」や「継続」がもたらしてくれるものだったと思う。

[写真:コーチングゲーム:POINTS OF YOUより「Results/結果」のカード]

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