役に立つとか立たないかは忘れて「触れてみた」、「気にしてやってみた」ものをたくさん増やしたい

学生の頃「こんなの役立たないじゃん」と言って、テスト科目以外を勉強しない友人にモヤモヤしていた。そもちろん効率的で悪くはないけど、私は自分がやっていることが「将来、役立つかどうか」にはあまり興味がなかった。「勉強することそのものが好き」という性格だから、先を見据えることが不要で、勉強している=目的達成というのも大きい。
それに、役に立つか立たないかは、それを学んでいる最中に判断できない。未来は誰もわからないからだ。

確かに即効性がなく、「いつか役に立つもの」は、今現在の何かを継続するモチベーションとして弱い。でも何かに役に立たなければ意味がないとか、ものにならないから手を出さないとしたら、人生の楽しみから遠ざかる気がする。
「いつか役立たなくてもいい、けど役立つこともある」ぐらいの気持ちでいればいいと個人的には思う。仮に「役に立つことが全てでそれ以外はやらない」と考えるなら、未来の可能性を大いに狭めることになる。

小学1年生の頃、ピアノを習った。手先が小さく不器用で、ピアノの練習を頑張るのが向いてなくて、1年とたたずやめた。それでも、楽器が弾けるようになりたいとずっと思っている。

小さな頃に挫折したこと、苦手だけど、苦手なことが払拭できずに何となく気になっているなら、それは「いつか上手くなりたい」ことだと思う。大人になるといつのまにか器用になっていて、7歳の頃より出来ることも増えているはず。

ちょっとづつでもいい。「触れてみた」、「気にしてやってみた」時間がやがて、「触れていたことがあるので少しは出来る」、「気になってやったことあるので、少しはわかる」になっている。

基本のスタンスがそこにあるので、あまり時間を無駄にしたかどうかヤキモキしたりしない。やりたいことなのに何らかの理由で引っ込めて、長い時間をかけて塩漬けしてたものを取り出してみてもいい。一回やりさえすれば満足することもたくさんあるだろう。

0より、0.1ぐらい。それでもいい。気になることがあるなら、うまいとか下手だとか、ものになるとかお金になるとか、役に立つとか考えないで、ただやってみる。役に立つことと同じくらい、役に立たないものをたくさん集めることが、私の人生の豊かさの源になると若い頃から根拠なく思っていた。その中で、気がついたら10とか100とかどんどんできてしまうことが、得意なことで好きなことになる。来年は、何か楽器や自分の創造性を刺激するものを習いにいこう。そう決めている。

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